はとむね読書

胸を張って読書を頑張る記録

(読了)成すも成さぬもないのだが これまでもこれからも

 

成すも成さぬもないのだが これまでもこれからも

成すも成さぬもないのだが これまでもこれからも

  • 作者:鷲崎 健
  • 発売日: 2015/11/10
  • メディア: Kindle版
 

 

所感

「声優やアニメクリエイター、アニソンアーティストなどの方々をお呼びしてお話を伺ったりするラジオ、通称アニラジと呼ばれる業界で日々喋ったり笑ったりする仕事をしております」

アニメ・声優業界のラジオ・司会として活躍される鷲崎健さんのエッセイ
ラジオ通りの愉快で軽快なトークテンポに流されながらも、言語化され活字に落としこまれた独特な理論・感性に逐一立ち止まり咀嚼をして、何かわかったような気になってまた読み進める。この緩急が楽しい。言葉遊びや秀逸な例えも、いちいちくすっとされるし、「そして。」のように、ときどき接続詞に句点を使ったりするのも、いちいち意味を考えてしまう。
とっても好きな本です(ファン心理(笑))。

 

肩書のないラジオパーソナリティ

  • リスナーとの共犯意識

いい加減な気持ちで始まったラジオ人生であるが、それなりに愛情やこだわりなんかが生まれるのに十分な時間である。
その具体的な内容をここに記すのは美徳としないが、一つだけ自分の中で決まり事を発表するならば、それは「共犯意識」ということだ。

ー中略ー 

あの頃の僕は、少年たちが普通深夜番組を聴くことで得られるインモラルをズル休みをした午前中のラジオで味わっていた。

だから今、自分のラジオでは学校を休んだり友達関係を休んだり家族関係を休んだりしてる人たちに向けて喋っているつもりだ。悩みを聞き道を解くような兄貴ラジオはできないが、何かから逃避してる人間がうっかりと聞いて楽しんでくれればよい。リスナーと共犯関係を結べればいいと思ってる。逃避の旅のお供として。

RCサクセションに「共犯者」という曲がある

わけもわからずに
追いかけまわされて
逃げ回らなきゃならない時
かくまってくれるかい?

という歌詞は僕にはそんなラジオのことを歌っているようにも聞こえる。 

共犯意識かぁ、確かに鷲崎さんのラジオにはまったきっかけも、現実逃避してネットサーフィンしてたらおもろいもんと思って、見つけてしまったところからかも。
休日には、散歩しながら「グレパラジオ」「今んとこやや好き」を聞いてるだけで、リフレッシュされる。いいラジオっすよ。ぜひ聞いてみてください。
グレパ https://www.onsen.ag/program/gurepa/

やや好き https://hibiki-radio.jp/description/yayasuki/detail

3rdアルバム「TRAIN-TRAIN」を販売したばかりのブルーハーツが最後のゲストだった。ヒロシとマーシーがふざけて浅川マキの夜が明けたらを歌い、三宅伸治にうるせえっ!と突っ込まれ清志郎は笑っている。その全てがなんだか一番美しい思い出の箱に入っている。

稚拙ながらエッセイをしっかり読むのは初めてなんですが、こういう文章を通して風景をなんとなく思い浮かべるだけで、自分の思い出の箱にも入った気分になるのって面白いですね。全然わかんないのに何だが美しいと思ってしまう。

(自主制作ラジオが録音された中古カセットテープを買った経験に対して) 

現代の少年たちもそういう自主ラジオを作っていたりするのだろうか。作っているなら是非聴いてみたい。ニコニコやツイキャス全盛の世の中ではあまり期待できないだろうか。しかし初めて作った曲、初めて描いた漫画、初めて綴ったラブレターなど、それはとても恥ずかしくてかげがえのないものである。生配信で垂れ流しちゃうのはもったいないよ。LIVE感も視聴者の反応も無く、ましてや作品を作り込むほどの技術もない、そんな憧れと初期衝動の固まりみたいなものを聴きたいのだ。絶対笑わないから送ってきてくれませんかね。

いや絶対笑うやん(笑)。
んでも、こういう人が誰しも持っている恥ずかしい弱みみたいなものを、こうして受け入れてもらえるのかもと思えるだけで、とてもうれしいものだなぁ。

今ではワンクール20本くらいのアニメは視聴している。だが、そもそもアニメ好きでは無いので、面白い、と感じた作品しか面白がらない。
なにを当たり前のことを、と思うかもしれないがこれが「好き」という力の源でもある。

例えば僕はブルースという種類の音楽が好きでそれこそ中学生の頃から今に至るまで常に聴き続けている。
そしてこれが重要なのだが、もはや多少ヘタクソでも随分ヘタクソでもそれはそれで味だな、と思えてしまうのである。

これが好きという力。ずっとそのことを考えている。

「仕事」と「好き」。その区分を言語化してもらって再確認。

個人的には「好き」というものは、子供のころになんだかよくわからないまま醸成されていて、誰にも何にも干渉することができないと思う(それは自分でさえも)。ゲームが好きな自分は、はまればいまだに食事を惜しんでゲームをしてしまうし、アニメも社会人になって卒業しようとしたけど、精神衛生上よくない方向に行ってしもうたし。だから他人のことでも自分のことでも、好きなものを安易に否定することだけは絶対にしてはいけないな。

子供のころから思っている「「仕事」と「好き」をつなげる必要があるのか?」という質問に対しては、答えは見いだせていないままでここまで来た。自分は結局「仕事」と「好き」はあまりつながっていないまま。だけど今の仕事がつまらないとは思っていない。
今は好きなことを仕事にすることが、比較的やりやすくなった時代(プロゲーマーとかすごい概念)だと思うけど、果たして今の自分と、好きなことを仕事にしていた自分とで、どんな結末が待っているのかはよくわからない。一つ言えるのは、好きなことを仕事にしてたらこんなに本を読みだしたりしてないだろうし、それはそれでとてももったいないと思えることだけ。

「好き」なことには夢中になって、「仕事」には誠実になってればいいんじゃないのかな。違うかな。

(3.11 ラジオ仲間と晩酌を組み合わせる中で)
混乱と憶測情報の飛び交う中、正直数分数秒後には東京もなにがどうなってるかわからないと誰もが少し思っていた。できるだけ愛する誰か、大切な誰かのそばに居たいと。

しかしそんな「誰か」がいない人間もいる。いない同士が寄り添いあって、なんとか恐怖から目を逸らしていた。はっきり言って大した友情で繋がっているわけでも無い。でも、ラジオが好きでラジオに関するバカ話をしながらラジオ仲間と死んでいくのも悪く無いな、とあの時本当に思ったのも確かである。

ー中略ー 

伊福部くんの言葉。「人間には誰かが喋っているのを聴いていたいという根源的欲求があるはずで、それがある限りラジオはきっとなくならない」
至言であり、救いであり、我々ラジオマンにとっての祈りでもあるなと思う。

「根源的欲求があるはずで、それがある限りラジオはきっとなくならない」
→「はずで」「きっと」という言葉が添えられて、根拠も論理をクソも無い言葉なんだけど、なんだかしみわたって、祈りをささげてしまう。どうしようもなく人間的でいとおしいなぁ。

とても個人的な音楽のはなし

では一体、自分の音楽ルーツはどこにあるのか。
神戸生まれの神戸育ち。wikiにもそう書いてある。 

 こういうお茶目さがいいんですわ。読んでるのに愉快で軽快なトークを聞いてる気分。

(オーティス・レディングのライブ盤を聞きながら)

その衝撃をどう言葉にすれば良いのだろう。グルーブ、熱狂、シャウト。全部が固まりになって脳みそを貫いた。とにかくメンバーの誰も格好つけてないし、一つもうまく歌おうとしていない。イノセントとはつまりこういう事なのだと感じた。ハッピーもサッドもいっしょくたになって血管内が暴れだすようだった。とにかく今まで味わったことのない感覚。準備していない部分が刺激されて、あーこれか感動というものなのか、と理解するのに時間がかかった。

 言語化おじさん。

わずか5曲。30分、しかしその短い時間で、確実に人生が変わったと感じた。あー僕はもう一回この興奮に出会うために音楽を聴き続けるんだろうな、と。

自分で言うとμ's 5thライブ現地参戦。人生ブレイカー。あの興奮から逃れられなくて、ずるずるライブに行ってしまうのだ。

いわゆるヘヴィメタやハードロックなどといったラウドな音楽は全く聴いてこなかった。正直うるさいな、としか思っていなかった。音楽に善悪や敵味方などと存在しないともちろん思っているが当時は(今もですが)ブルースの方がよっぽどヘヴィだしハードだと思っていた。しかし。あの過剰にフィードバックした音でしか刺激されない心の部位があるのは分かる。分かるし理解もしたいのだがそれに関しては音楽的性感帯が違うとしか言えない。風俗嬢にずっとまぶたを舐められている感じか。 大変下品な例えで申し訳ないが。

例えがさすがです(笑)。

初めてソロでアルバムを作ったのが6年ほど前。そして現在までに3枚のソロアルバムを出している。

メッセージなど何もない。言いたいこと、世間に問いたいことなど一つも持ってない。ただ嫌いな言葉を極力排除し、口の気持ちよさ、発音の気持ちよさを意識して物語を紡いでいくだけである。

ー中略ー

確かに歌の中に登場人物を設定し、ドラマと感情を想像して書くのが好きなようだ。なにせメッセージがないので。

その通りで、世界観がとてもいい曲が満載なんですよ。何気ない日常の曲が染みわたるんです。つらいことがあっても、鷲崎さんのフラットな日常の良さを見出す曲を聴いて、まぁ生きてりゃええやんかいさ。って感じ。

例えばこちらの「奥様、お手をどうぞ」という曲。ただBBQ楽しいぜって曲。なんか悩んでいることとか忘れて、BBQ楽しいなって気分にこっちもなっちゃいます。


鷲崎健「奥さま、お手をどうぞ」MV

 

他にもおすすめ曲はこちら(ブログ主の主観です)。

「BLUES」どんなときでも、猫がかわいくて鯖がうまいから大丈夫 

Singer Song Liar

Singer Song Liar

  • アーティスト:鷲崎健
  • 発売日: 2010/05/12
  • メディア: CD
 

「バラバラ ~Balanve 2 Variance~」彼と彼女の二人三脚 

「I Love You」のある世界

「I Love You」のある世界

  • アーティスト:鷲崎健
  • 発売日: 2012/05/23
  • メディア: CD
 

「日々WALK」道と人生の散歩 

What a Pastaful World

What a Pastaful World

  • アーティスト:鷲崎健
  • 発売日: 2015/10/26
  • メディア: CD
 

全部別アルバムの収録で、しかも表題曲ではないですが(笑)

音楽や漫画やファッションやお笑いや小説やそれが何かわからないけど、今日も誰かがどこかで何かに感動して人生のハンドルを切っている。バタフライエフェクトなんて言葉を使うのは何やら大仰に過ぎるかもしれないが、毎日人知れず百万の蝶が花吹雪のように空を舞っているのだ。

本当に素敵な世界観と感性。正直言うと自分の場合、人が何かに影響されて、何かを一心不乱にやりだすことを、無駄なことをやりだしたなぁと悲観的な目線で見てしまうことがあるけど、こんな目線でとらえた方がもっとわくわくしてくるんじゃないか。

鮫について語ろう

 (しかし全くの余談だが、世の中は「三の法則」で溢れていますね。できる受験勉強三つの法則や勝てる営業三つの法則、、ー中略ー、、騎馬民族は三拍子を歌いゲームは三アウトで交代しそして鮫の歯は三列に配置されている。先へ進もう)

そしてみっつ。言うまでもなくもちろんロレンチニ瓶の存在だろう。さあ真打登場とばかりに歓声を上げる鮫ファンと名前も知らないスターの登場に戸惑いを隠せない非・鮫ファンの表情が目に見えるようだがこれは鮫の特殊性を語るうえで絶対に外すことのできない重要なファクターなのである。説明しよう。そして説明が終わるころにはあなたも花道を行くスタープレイヤーに対して大きな声で声援を送っていることだろう。「ロレン!チーニ!びん!」「ロレン!チーニ!びん!」

「三の法則」の余談は11行使ってました(笑)。やっぱり読者に楽しんでもらいたいというようなサービス精神からこういう文章がでてくるのかな。要点をまとめると鮫のウンチクは2-3ページに収まるもんだろうけど、脱線・雑談・誇張でクスクス笑ってしまう。ためになる話をしているのに、笑ってしまって、「あー楽しかった。で、なんだっけ」という感じです。

学名は「Mitsukurina owstoni」ラテン語ですね。現在もバチカンの公用語である。ちなみに鮫に限らずいろんな動植物の学名をなぜラテン語でつけるのかというと、これ以上変化・進化する可能性が低いから。

ー中略ー

言葉というのは生き物なので五十年もたつとかなり変わってしまう。そのため学術用語は使用頻度・範囲ともに特化的ミニマムなラテン語を使用するのが半ば伝統になっている。

ー中略ー

だから何だと言われたら別になんでもない。もはやミツクリザメとは直接関係ない単なる周辺情報だ。しかしラテン語にしても新製輿地図にしても上記のほとんどがミツクリザメに対する興味から得た知識でもある。対象から始まる知的欲求の連鎖は様々な方面につながって、毎日を彩ってくれる。「好きになる」とはきっとそういうことなのだ。少なくとも今の自分にとっては。

こういう雑談もためになる。
好きから生まれる知識の連鎖。とてもいい話ですね。 

富士山、巨人、レディー・ガガ

てなわけで、三題噺「富士山、巨人、レディー・ガガ」ひとまず幕でございます。お粗末。

迷子音感の良い鷲崎さんならではの小噺。少し振り回されて疲れちゃうかも(笑)。

十代の自分に如何にして友達が出来たのか、または出来なかったのか

タンスだよ 

まるで一番甘くて一番綺麗なあめ玉をかみ砕いてみんなで分け合うような気持がした。多分小学二年か三年の記憶である。大げさに言うと、あの時のあの感じ、あのどうかしちゃっている快感をもう一回味わいたくて今でもラジオでしゃべっているのかもしれない。

鷲崎さんの原体験を聞いてるうちに、自分も子供のころの原体験が、今の自分のどのパーツの構成要素になっているのか、考えて直してしまうなぁ。つながった!と思えるだけで、なんか楽しいです。

アニスパのはなし

(アニスパ作家・諏訪勝氏の話)

パーソナリティと一緒に面白がりながら一歩先、一つ外側から常にバランスを見ていなければならない。「書く能力」と「居る」能力が両方備わってないといけないのだ。

ー中略ー

アニスパという船の船長は間違いなく諏訪さんであったと思う。 

あの物悲しい個室から生まれた曲が「Carnival」というハッピーソングであることを考えると、極寒の地に育ち複雑な家庭環境に悩まされながらも常に陽気で暖かく美しい音楽を作り続けたヨハン・シュトラウスの人生に思いを馳せずにいられない。

なので浅野さんがツッコミであっても一向に構わないのだがいかんせん本人の面白さが先に立ってしまうのである。鳥がバードウォッチングしている様なものか。

アニスパは人気番組ではない。これはずっと言い続けてきたことだ。アニスパは人気番組ではなく、人気のあるタレントがゲストで来る番組だった。同じ倫理で言うとこうなるだろう。アニスパという番組に歴史はなく、アニスパに来てくれたゲストとそのファンに歴史はあるのだ。

そして。珍しくアニスパ単体のファンだった、という稀有な皆さんは僕と同じくこう思ってくださればうれしい。

「あー面白かった。ちっとも内容はなかったけど」

アニスパの裏話。自分は初期からリアルタイムで聞けていたわけじゃないけど、ちょいちょい聞いててゲラゲラ笑っていた世代。そんなアニスパの裏話が見れるのは、贅沢ですね。早く読んどきゃ良かった。

これは尊敬する先輩から教わったことであるが、「面白い、とは関係性から生じることであってただ漠然と面白いことなど存在しない」

奇矯な振る舞いはユーモアにあらず、とかウィリアム・シェークスピアも言っている

面白いということにこんな風に考えたことはなかったなぁ。少し見直してみよう。

これまでもこれからも

多分自分が口に出してしまった夢に対して責任を持たなければ、と強く思いすぎていたんだと思う。逆に考えなしにホイホイと夢を持ってしまう同級生に驚いていたくらいだ。まだ世の中に知らないことがいっぱいあるのに、いま決めちゃっていいの?と。

わかる、、答えの見つけられない、というより正解のない問いに対して、さも正解だと直進していける人たちは本当にすごいなと思っていた。ただそれは曲がってもいいんだということに気づいてなかっただけなのかもな。一度決めたことを変えたらダサいみたいなプライドがどこかに眠ってるんだろうな。 

「みんなが夢を持たなきゃいけないっていうのは、戦後民主主義教育の一番の間違いなんだよ」「夢がないと幸せになれない、みたいなナヨナヨしたこと言ってるからダメなんだよ」「持ってる人は楽しいかも知んないけどね。一緒にされると迷惑だよねえ」「叶っちゃったらどうすんの」「無駄な荷物は持たないに越したことはないね」etc.

ほんとな、その通り。人それぞれの生き方があり、そこを否定することは誰もできないのだ。今を一生懸命生きれば何でもいいんだろう。夢がないという不安を、払拭してくれる人がもっといてくれたらな。

「大きく心が動く」エンターテインメントだけではない、「小さく心が動く」時にしか感じられないインタレスティングもあるのではないかとだんだん気づき始めてきたのだ。

幸せの器の大きさは人それぞれですよね。

その時その時で面白そうなものに手を出しては飽きたらやめる。こうやって改めて書いてみると結局ガウォークのころとちっとも変わってないようだ。変わったとしたらただ一つ。未来の自分に荷物を預けなくなったことくらいだ。

そんなわけで “Dear 未来”

変なもん持たせてすいませんでした。座って楽にしてください。

この感覚、今の自分にはまだ少し理解しきれていないんだけど、大切に覚えておこう。そのうちわかるような日が来る気がする。